まちがえることは悪いこと?
はじめまして!スワスタミタ広報の三田です!
これからみなさんのインドネシア語学習に役立つ情報をこの『スワスタミタ・三田のインドネシア語ブログ』で発信していきたいと思っていますのでよろしくお願いいたします!
インドネシア語に関わらず、外国語を勉強するとき私たちの障害となることの一つが『まちがえることへの不安』ではないでしょうか?
私もインドネシア語を勉強し始めた頃、インドネシアの人と話してみたいだけど間違った発音や間違った言い回しを使って伝わらないのが怖く、話せないことが何回も(たぶん何十回も 笑)ありました…。
この『まちがえる』ということは言語を学ぶ上で私たちにどのような影響を及ぼすのでしょうか?
今回はそんな『まちがえる』ことと『言語学習』についてお話ししたいと思います!
みなさんはバラス・スキナーという心理学者をご存知ですか?(バラすのがスキな暴露系YouTuberじゃないですよ 笑)
彼はヒトの行動は過去の行動に依存すると考える行動主義と呼ばれる考えを持つ心理学者でした
ある行動はそれに対する反応によって変化し、反応が良ければ繰り返され、反応が悪ければ繰り返す確率が低くなると考えていました
スキナーはこのことを動物を使った実験で証明しました。
スキナーはこの実験で空腹のネズミを中にボタンのついた箱の中に入れて行いました。
空腹のネズミは箱の中を歩き回ったり、匂いを嗅ぎ回ったりし、あるとき偶然箱の中にあるボタンに触れるとエサが出てきます。
当然、ネズミは1回で「ボタンを押すとエサが出てくる」ことに気づくことはないので、また歩き回ったり匂いを嗅ぎ回ったりして同じ行動を繰り返します。
そうして、何度かボタンに触れる行動に対する反応/結果としてエサが出てくるということに気づきます。そうすると、ネズミは次から「ボタンを押す」行動を繰り返すというのです
このことは人間の言語学習においても同じことが言えるというのです
例えば、ある言語のある単語を使ったとき、そしてその単語の意味が通じたとき、私たちはまた同じ単語を同じシチュエーションで使うでしょう
反対に、もしある単語を使ってそれが通じなかったとき、その単語をそのシチュエーションで使う頻度は減るはずです。
『まちがえる』という反応/結果は後者の「通じない単語を使う」という行動に伴って得られる物ですが、もしその単語を使うという行動をしなければ得ることのできなかった結果とも言えます。
これは言葉が通じたときも同じで、ある単語を使うという行動がなければ、"通じる"という結果は得られなかった訳です
もしスキナーの理論が正しければ、"まちがえる"ことでしか得られない反応・結果そして行動の変化があるのです。そう考えると、言語を学習する上で"まちがえる"ということは悪いことではなく、むしろ必要なことなのではないかと私は思います
そして、通じるというプラスの反応も、通じないというマイナスの反応も言語を実際に使ってみなければ得られないものです。
なので、とにかく使う・チャレンジして反応を得るというのが私たちの言語学習に必要なことなのだと思います
みなさんの今日がみなさんのインドネシア語ライフにとって実りある1日であるよう祈っています!Sampai jumpa!